プロフィール

2017年からコミュニティのプロデュース事業を開始し、2019年には日本最大のオンラインサロンのプラットフォームであるDMMから運営が評価され表彰される。2020年1月にトイボックス・エンターテイメント(株)を設立し、企業・地域・個人のファンコミュニティのプロデュース、コミュニティマネージャー育成、チームビルディング指導を行っている。

自己紹介をさせてください

僕は群馬県にある小さな町に生まれました。生家は市街地から外れた一軒家で、最寄の同級生が住む家まで500mほど離れたところにありました。生来、楽しいことが大好きで友達と遊ぶのが大好きだった僕なのに、近所に住む友達が少ないせいでなかなか友達と遊べず、町の中心地に住む友達が毎日下校後に楽しそうに遊んでいる様子を聞いてはうらやましく思う日々を過ごしていました。人に会いたい、人と遊びたい、人と関わり合って生きていきたい、いつも人に囲まれて楽しく生きていたいと、人への渇望感を抱えて育った幼少期でした。

僕は子どもの頃から、友達との遊びの中でも企画屋タイプだったので、「やってみてうまくいかなかったら、すぐに調整」するということを率先してやってきたところがあります。幼稚園でごっこ遊びをする時は、自分であらすじを書いて友達の配役を仕切り、「僕、こんな役いやだ!」と不満が出たらその都度あらすじと配役を見直してコンテンツを創り上げる段取りのいい子どもでした。小学校でドッジボールやサッカーをする時には、パワーバランスを考えてチーム分けの舵取りをしていました。そして、どちらかが強くなりすぎたりして面白くないと、メンバーをトレードしてみんなが楽しめるように場を整えて、熱狂と興奮を演出することを得意としていました。「お前のおかげで楽しかった。ありがとう」と感謝される経験が続くと、これも僕の才能の一つなのではないだろうかと自覚するようになりました。

その後、高校球児として県内屈指の強豪校に在籍し、ほぼ無休で野球に明け暮れる3年間を過ごします。毎朝5時に起きてお弁当を作ってくるお母さんに恩返しをするためにもレギュラー獲りに燃えていました。しかし、努力は報われるというものでもありません。悲しいことに僕は野球部でレギュラーを取ることができませんでした。そして、甲子園も目前で逃してしまいました。不完全燃焼な気持ちを抱えたまま高校生活が終わりました。

そんなこともあって、数年後に某大手メーカーに就職を決めた時、僕は「出世して社長になって、お母さんに恩返しをする」という目標を決めました。そして、決めたとおりに僕は、バリバリと仕事をこなし、社内最速で昇進を重ね着々と出世街道を驀進しました。

ところがある日、僕は重度の十二指腸潰瘍を患いしばらく寝たきり生活を経験します。それまで健康一筋だったものですから、食事もまともに食べられず、足元もおぼつかない自分に対して「もうすぐ死ぬんじゃないだろうか」と不安がわきおこるのを抑えられませんでした。(結果的には大袈裟だったんですけどね)。死の恐怖を意識したのはこれが初めて。それまで、人生も仕事も楽しく充実していると思ってきましたが、もしこのまま死んでしまったら後悔は残らないだろうか?この先もサラリーマン一筋の人生でいいのだろうか?という思いが何度も頭をよぎりました。

頭の片隅に悶々とした悩みを抱えたままでしたが、30歳の時に最速でアシスタントマネージャーに昇進します。僕としては鼻高々。どうだ、やったぞ、と。

ところが、僕以外の家族の反応が薄いのです。そんなに嬉しそうじゃない。母も妻もさほど喜んでいないのです。それで、改めて冷静に自分の周りを見渡してみると、出世したと言っても仕事の内容はたいして変わらない、僕自身も変わった気がしない。もちろん、世の中にはまったく影響しない出来事だったので当然世界は変わらない。「〇〇長」と名刺の肩書が変わっただけで、それ以外はなんも変わってなかったことに気づきました。
はたと我に返った瞬間、頭の中に2つの光景がよぎりました。

1つ目は、会社員時代は職場でブイブイと言わせていた先輩方が、定年と同時に背中を丸めて寂しく会社を去っていく姿を思い出した。聞けば定年後は家庭菜園や犬の散歩をのんびりしてる方が多いらしい。
2つ目は、僕は会社では同年代でトップでしたが、社外に目を向けると僕以上に活躍している人が何人もいた。それより何より、自分の夢やビジョンを掲げて個人の名前で社会と戦っている方が沢山いた。

 僕はこの時、初めて自分の人生に向き合いました。

社長を目指した自分は確かに頑張っていたし、努力もしていました。でもそれは、与えられた仕事をこなしていただけなのかも。高校で野球に打ち込んでいた頃は、毎日、誰に言われなくても夢に向かって熱い気持ちでバットを振ることができていたのに今はどうだろう。あの頃の僕は人生に熱狂していた。もう一度、あの頃のように全力でフルスイングをしたい…。そんな声が心の奥底から聞こえてきました。

この時をきっかけに、会社という村社会から脱藩して、大きな社会で自分が熱狂できる人生を送りたいという気持ちが芽生えました。31歳のときでした。

社業の合間に知り合いの会社の営業活動を手伝ったり、オリジナルコンテンツを制作してみたり、講師をしたり、国内の商品を束ねて海外の展示会に出品したり、興味があることは片っ端から全部やってみました。

これらの仕事は、会社に頼らずに自分の名前を看板に一人で立つということで、圧倒的にやりがいがあり楽しかったのですが、心のどこかで「これじゃないな」と感じていました。僕は根っからの企画屋気質なので、商人として他人が作ったものを売るよりも、企画を通じて世の中に新しい価値を創りだせる人になりたいと思っていたのです。

そんな、「これじゃない感」がぬぐえなかった僕に、新たな夢と生きがいを与えてくれたのが「コミュニティ」でした。コミュニティは、幼少期から培ってきた僕の才能を思う存分に活かせる場所でした。

僕がコミュニティと出会ったのは、ホリエモンさんが主宰するオンラインサロン「堀江貴文イノベーション大学」でした。2017年春に、ホリエモンさんのオンラインサロンに参加しコミュニティの可能性に開眼しました。

その後、吉本興業の伝説の女マネージャーである大谷由里子さんが主宰する「全国・講師オーディション」で全国大会に進出し、TSUTAYAさんから審査員特別賞を受賞したことをきっかけに、僕は大谷由里子さんと一緒に「ビジネスタレント育成大学」というオンラインサロンを立ち上げます。
翌月には、きずな出版編集長小寺裕樹さんと「小寺メディア戦略室」を立ち上げ、これらを皮切りにさまざまなコミュニティの運営や、プロデュース、サポート業務に携わってきました。

2019年には日本最大の有料コミュニティのプラットフォームであるDMM.COMからコミュニティの運営が評価されて表彰されました。そして、2020年1月にコミュニティ事業を専門で取り扱うトイボックス・エンターテイメント株式会社を起ちあげました。

トイボックス・エンターテイメントのビジョン

トイボックス・エンターテイメント株式会社は、子どものように“大好きなことを好きなだけやる”という気持ちを大切にして「毎日を思い出曜日にする」をビジョンに、企業や地域の伴走者として、コミュニティづくりを通じて、社会に新しい価値を提供していきます。

  • 地域のファンクラブを創り、関係人口の増加を目指して地域の活動を支える
  • 企業のファンコミュニティを創り、事業の成長やシナジー、社会貢献活動を支える
  • 著名人や文化人のファンコミュニティを創り、事業の成長や社会貢献活動を支える

という3つのミッションを軸に、「人生にドラマを!仕事にファンを!」つくるために活動をしています。

ファンとの交流会を仕掛けたり
海外企業との異文化交流を仕掛けたり
組織を横断したイベントをデザインしたり
オンラインでのエクササイズを仕掛けたり
世代の垣根を超えた交流をデザインしたり

僕たちの強みは、これまでにたくさんの活動をデザインしてきた実績に裏付けされたノウハウと、オンラインとオフラインをMIXさせたハイブリッドなコミュニティのプロデュースと、コミュニティに関連するサービスをワンステップでできることです。

僕たちは、子どものように“大好きなことを好きなだけやる”という気持ちを大切にして「毎日を思い出曜日にする」をビジョンに、企業や地域の伴走者として、コミュニティづくりを通じて、社会に新しい価値を提供していきます。